2010年6月17日木曜日

山内さんと話したこと


大げさに言えば山内家の当主と、400年ぶりに直接お話が出来ました。
それも、土佐の鏡川沿いの郭内で。お昼をご馳走になりながら。
山内家の19代当主の豊功さんは、無口な方ですが、みるからに誠実そうです。
お顔はすこし「龍馬伝」で山内容堂役をやっている近藤正臣に似ていますかね。
そこで聞いてみたかったこと。ずばり、このことです。
わが長宗我部家の祖先、元親の末弟、長宗我部親房を継いだ五郎左衛門が、
山内家に名乗り出た理由についてです。
山内家などに仕えなくても、じっと潜んで、プライド高く暮らすのが、
最も良かったのでは、という気がしていたからです。
このことが氷解いたしました。
豊功さんの答えはこうでした。
「自ら申し出られてきたら、長宗我部の血筋のものであっても、むやみに斬首は出来ない。それは、そのころの考え方です」
つまり「山内家が探し出し、摘発した場合は、逃げ隠れしていたということで処罰できる」
ということです。
ということは、五郎左衛門は、そのあたりを読んで、命がけの賭けをして、
長宗我部を残したのです。
だから、苦しくとも、山内の家臣となったのでしょう。